悪い虫

誰でも何か一つ、悪い癖というものを持っているらしい。ついつい時間にルーズになってしまったり、小さな嘘をついてしまったり、お酒を飲まないと手が震えだしてしまったり

最後のやつは病気なので個人的に通院を薦めますが、大なり小なりそういった悪癖に自覚のある方も多いことでしょう。勿論、ぼくもまた然りである

頭の中の悪い虫といいますか、古典的なところでは吹き出しで頭の上に舞う天使と悪魔の片方病欠といいますか。どう見ても天使っぽくない方にその槍みたいなやつで脳みそを突つかれ命令されるかの如く、ついつい暇があればいらんことを考え出してしまうのがぼくの悪い癖である

例えば最近の議題を一つ挙げるとすると、「世間的に不器用と言われている人間ほど、対比として器用な人よりもより複雑なのであろう」という様なもので、器用に生きていると言われている人ほどその場その場を楽しむ事を重要視しているため、(悪い意味ではなく)実は深く物事を考えていない人が多い。そんな必要は無いからだ。対して不器用な人はその不器用さから常々損な役回りをするという生き方をしているために、常日頃から自身に対して強烈なコンプレックスを持ち、そんな自分を変えたいと切に願っている方が多い

よって、一つ一つの所作に自分を変えようという試み、もしくは上手くやれない自己嫌悪のような「要素」がどうしても一つ増えてしまう為に、器用な人間と比べてより「複雑な人」になってしまうのである

例えばハンバーガーを一つ食べるにしても、人の目を気にして美しく食べようという気持ちがあり、それを食べるという所作に表そうとしているのならば、厳密に言えばこのハンバーガーを食べているという状況も「栄養補給の為の食事」という単純な行為ではなく、「栄養補給の為の食事+α」になるのである。なんというか、禅である
(注※ この文章を書いている人は禅をよく理解していません)

以上がぼくの悪い虫である。律儀にちゃんと読んでくれた方も、何よく分かんない事言ってるんだこいつはと読み飛ばしてくれた方も、なるほど、どうでもいい事考えちゃってる感はヒシヒシと感じ取ってくれたかと思う。この期に及んで「ナガトちゃんって思慮深いんですね」とか思っちゃってるお優しい人には、この機会に是非目を覚まして頂きたい。こんな生きる上でなんの必要もないような事を黙々と考えているよりは、1枚でも可愛らしい絵を描くことが世間がぼくに対して求めていることであり、ぼくはそれに答えなければいけない立場なのである、本来ならば!
(※反語調に言っているが反語では無い)

平素より、純粋な人に憧れて、そうなりたいと思い続けているぼくは、このようにしてその憧れから遠ざかっていくのである。器用に世渡りをしていく人ほどある意味で純粋なのだろうと最近思う。そういうストーリー。この場合の純粋の意味とは、ピュアではなくシンプルにより近い

別にいいんだ。悪い癖を脳内に抱えて、シンプルではなくピュアを目指せばいいんだ。そういう人に、私はなりたい(まさかの引用オチ)