うつろう、ということ

言葉というものは、移り変わっていくものだと聞き及んでおります

若い方々の言葉は若い方々のものであって、そこに属さぬ人々が、何を言ったとて関係することは出来ないものであります
ぼくなんかはそのあたりの接点も皆無なもので、WEBを見ては、「この言葉はどういう意味だろう?」と首を捻ることもまま、あるのですが。そこに属していない以上、学ぶ気すらない以上、解読できないのも当然なことなのでしょう
言葉の乱れ。日本語の乱れ。と声高に主張する方々がいますが、彼らは結局のところ、自らが定義する正しい日本語を使えと切実に訴えているのです

分かります。ええ、分かりますとも

例えば、「ら抜き言葉」。北海道の方ではもともと方言として成り立っていたようですが、テレビでいい歳をしたタレントさんがこれを使われているのを見聞きしますと、個人的にはどうにも違和感を感じて仕方がありません。そうしてそういった方というのは、想像以上に多くいらっしゃるということに大変に驚く始末で

若い方々の言葉を新しいと解釈するならば、当然、上記は古い考え方になります。ことの正誤は置いておいて

さて、時代の古い小説を、戯れに開いたとしましょう。慣れればまた、別なのでしょうが。初見では現代とは違う言葉遣いに、意味を推理しながら四苦八苦してページをめくることになるでしょう
そうしている瞬間には、ぼくにも古い言葉に翻弄されるという、「若い」立場が味わえるのです。これが、中々に楽しい

きっと昔の文豪も、多くの人々も、今と同じように言葉の乱れを嘆いていたのではないでしょうか。正しい日本語と今誰かが定義する言葉も、時が過ぎれば、四苦八苦して読まれる時代がもしかしたらくるのかもしれません