ダジャレではなく、ジャパニーズトラディショナルジョークと言いたまえ

今日はすごい風。連日すごい風。強風も、京都で吹けば京風なのでしょうか。ああなぎ倒され、飛んで行ってしまいそう

木々のしなりも極まると、なんだか恐ろしい様に見えてしまいます。ばっさばっさと枝葉の暴れる様子は、幼少の頃に見た何か恐ろしいものを連想させるようで心がザワザワしてくる。しかし木は、あんなにも曲がってよく折れないものですね。あれが自分ならば天に向けて両手を伸ばした折に(※大文字のYを体で表現するナガトさんを思い浮かべてください)、腕どころか、股関節の上あたりでボッキリいきそうな気がしてしまい恐ろしくなる。自然ってすごいって、そんなまとめでいいのか

さて今日、というかこれは前々から引っかかっていた事柄なのですが、コンビニのトイレによく貼ってある「きれいに使って頂いてありがとうございます」等のコメント。こちらとしては使わせてもらっているという意識なので「なんでっ?」って思うんですけれども、アレを見てどういたしましてとか思う人居るんだろうか。お店側のへりくだりの一種なんでしょうが、なんだかズレてると感じてしまうのはわたしだけ? むしろ嫌味だと思うのは考えすぎですけれども、商売とは言え、何もそこまでと思うことは正直多々あります。過剰にサービスをされると逆に居心地悪くなるしょっみーん(庶民)としては、お客様は神様ですって言われても、いやわたし人ですけれどもと恐縮してしまう。勿論、お店側の言い分もあるんでしょうけどね

話は変わって。空を飛ぶ夢を子供のころはよく見ていたのに、近頃めっきり見なくなりました。車を運転する夢もよく見ていたけれども、免許を取ったら見なくなりました。最近はなんだか、昔の夢ばかり見ている気がします。人生もそろそろ折り返し地点ということでしょうか。唐突に、がんばりましょうという気持ちになりました

明日もよしなに

 

ダジャレではなく、ジャパニーズトラディショナルジョークと言いたまえ” への2件のコメント

  1. 綺麗に使って頂いてありがとうございますと聞くと、人は心理的に綺麗にしなければいけないと思うからですよ、

  2. なるほどなんですが、その汚してしまう人向けの心理的圧迫を、綺麗に使おうと意識していると認識出来ないということが起きてしまっているのが面白いですね

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