ひとりぼっちふたりぼっち

ふと、孤独について思いを馳せる事がある。それはまず、自らの個を認識するという前提によって成り立っている事柄であり、個に対しての他者を認識して、つまり社会性というものを獲得することで初めて、意識の底からひょっこりと現れてくる。そんな、なんとも付き合いに工夫が必要な友人である

で、例えばなんですが。これは対象に何を設定するかによって、それを感じる度合いとでもいいますか。素直に孤独の深さとでも言えばいいんですが、まあ、そういったものをどれだけ感じるかに違いというものが現れてくる。3人の中で1人ならなんとかまあ、イマジネーションの名のもとに、頭の中でテトリスでもプレイしていればどうとでもなるものですが。そこから規模を広げて日本中の中で嗚呼、ぼくはひとりぼっち!なんて考えてしまったらもう、アレである。アレと言ったら、アレなのである

ぼくは地方に住んでいるので、外を歩いていてもまあ、人ゴミというものに遭遇する機会も滅多に無いのですが。たまに仕事なり遊びなりで東京に行くともう、人・人・人!人の大洪水である。最近だと皆してスマフォを覗き込みながら歩いているんだからもう、一種異様な有り様だ。アーリー・サマーだ。今は冬である

で、やっと本題なのですが。東京に行くと、どんなに楽しいことがあったとしても、結局ものすごい孤独感に包まれながら、帰りの特急に揺られて水戸へ着くというのがいつものお決まりパターンなのである。東京のあまりの人の多さに、それと比較して思わず、自分がひとりぼっちだという事を強く認識してしまうからなのだろう。なんともまあ、一々ご苦労さんという感じですが

性格というものは経験上、頑張れば矯正は効くものですが性質はまた、別の話で。三つ子の魂百までなんてドンズバな言葉を考えた大昔の人に敬意を評しつつも、もうちょっと救いを残しておいてくれよと見当違いの戯言をなして、話を締めくくろうとしているのは安直すぎますか。どうですか。やあやあ貴方、お目が高い。この甲冑、軽いでしょう?なんとカステラで出来てるんですよ!

商人、斬首。物珍しいかすていらなる菓子は、家臣皆様で美味しく頂きましたとさ。殿様はふんどし一枚で出陣なされたとか。全身、赤備えの雄々しい部下達に囲まれて、殿様は若干の肌寒さを感じながらも、采配の号令を掛けつつ胸中でそっと、孤独の味を噛みしめるのであった

おかしいな、今日はマジメな事を書こうとしていたはずなのに

 

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