野球少年になり損ねた大人たち

今日は、体のメンテナンスにいつも行っている整体へ。先生と話が弾んで居酒屋トークみたいになってましたが、歩き方や、ストレッチをしっかり教わって心身ともにリフレッシュしてきました。本当に、体の使い方って大事なことを痛感する

その帰りに、少し体を動かそうと思い、バッティングセンターへ。野球経験0の野球好きですが、以前に80キロも打てなかったことが悲しくて通いつめ、今では素人なりに、110キロでバシバシ打てるように。今日は120キロに挑戦してみましたが、何本か前に飛んで、目が慣れてきたあたりで終了。草野球をやっているわけでもないし、まあまあ気長に行きましょうということで収穫はセンター前ヒットのみ(コイン一枚)

あらかた打ち終わってのんびりしていると、お父さんに連れられて、少年二人が打席に入る。まだ体も出来上がっていないのに、ユニフォーム姿で、重いバットを一生懸命振っている野球少年達。これがまた上手くて、しばらく眺めておりました

小学4年生くらいのお兄ちゃんは、体の軸が全然ぶれてなく。小学1年生くらいの弟くんは、まだバットに振り回されているけれども、しっかりとミートをするんだ。それを見つめるお父さん

ああ、いいなあ。すごくいい光景だなあと感じ入りつつも、あんまり見つめていると悪いかなと思って、汗を拭って帰路に就く。自宅にてペンタブを握り、ちょうど子どもを描くところだったので、スイスイと筆を進めて今、出来たところ

なんだか今日は、上手く描けた気がする

明日もよしなに

 

筆圧強くてアイテテテ

一枚絵を描いていると、人物は(ものにもよるけれども)大体1~2人とすることが多く、それも決まったポーズなんかがわたしの場合は多いのですが、ここ最近は人物カットばかりを連日描いていて、それぞれに違いを出そうと自分なりに孤軍奮闘しているのですが。そんな中、ふと面白いなあと思うことがある

例えば、顔の描き別けなんてものはまったく意識していないし、したこともあまりないのだけれど、描いたものをずらーっと並べるとちゃんと別人になっているということに気づく

これは今、それぞれにお題があるものを描いているので当たり前といえば当たり前なのですが、各々服装の違いや職業の違いがあるから、別に設定をせずともなんとなく該当のイメージに沿って筆を進めることが出来ているんですね。よくよく見ると、骨格や筋肉の付き方なんかも違う

考えずとも無意識の思考がキチンと選別をしていて、きっとそれはイメージと呼ばれる分野で処理がなされて、ギタリストのアドリブのようにそこに適したものを選択している。「なんとなく」を紐解くと、そういうことになるのかなと一人腑に落ちた気持ちになったりして

感性の動きや、受けるということ、発するということにちょっと意識を向けてみると、自分でも知らなかった自分が発見出来て結構楽しい。それがいいことなら自信に繋がるし、悪いことなら修正していけばいい。そうやって日進月歩、少しは上等な人間に近づければいいなと強く思います

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BUCK-TICKさまの新譜が出とった

2秒で買った。で終わるならツイッターでやれって話で

ここ数年、CDをほとんど買わなくなっている。昔は音楽にも詳しくなかったから、すぐ手を伸ばせばかっこいいミュージシャンにぶち当たる可能性が高くて、ジャケットだけ見て買ったりもしていたのに

そうしてどんどんと増えていくCDラックを見つめてはうっとりとしていたものですが、今や買い集めたそのCDが邪魔でしょうがない。そりゃあマニアとは比べられませんが、それでも数100枚はあるCDなんて、場所を取ること通販で買った家電の包装用に入っている発泡スチロールのごとし。あれ邪魔ですよねー

聞けば、バンド仲間なんてみんな音楽好きで何かしらのマニアですが、最近CD買ってないなーがもうあるあるになっている

そりゃあ、CDという媒体がレディオヘッド以降(※言い値でダウンロード販売という、当時も今でもすごいことをしました)古臭いものになっている感は否めないし、デジタル販売も随分とマニアックなものまで扱うようになったからそれで事足りてしまうのが現実で。そもそも1980年代からずっとあるなんて化石といっても過言ではないし、VHSなんかとうに消えてGコード予約は記憶の彼方ですからね。ベータ? あ、見たことないです

紙の本のようにまだ残っているものもあるし、レコードのように再評価をされて蘇るものもあって、また消えていくものもある。それでもミュージシャンや作家はいなくならないし、素晴らしい作品も残し続けているわけで。こちらの楽しみ方が変わったのか、YouTubeみたいな代替するものが出てきたからなのかとかまあその辺はぶっちゃけどうでもいいんですが、これだけCDがどうとか言っておいて、BUCK-TICKさまの新譜はダウンロード販売で買いましたということをオチにしたかったんだけれどもどうやら、弱い?

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あがらい(by吉田拓郎)

仕事をしているとき、遊んでいるとき、その他ふとした瞬間にも、ああ集中力がどんどんなくなっていると感じるようになりました

まだ、遊んでいるときは夢中になれれば時間なんてすぐに過ぎてしまうけれども、仕事は昔と比べると、明らかに気が散るのが早い。これは自分なりの方法として、集中を効果的に使うために何年も前から連続して仕事をしないようにしているので、なかなか表面化してこなかったのですが

上記はつまり、一日の中で仕事をする時間を細切れにして、分散させる方法。閃きも、また自分の仕事のあらを見つけるということも、むむむとモニターを睨みつけているよりは、時間を置いてから見たファーストインプレッションの方が鋭いのです。煮詰まって出たものは、過去の焼き直しが多く、先進的なアイデアは、きっと心の余裕から生まれると経験から感じていますので。他の人は知らないけれど、わたしの場合

なので、どんなものでも一日で描き終えずに必ず何日か寝かすようにして見直す時間を多くとるようにしているのですが。それにしても作業は早い方がいいし、集中も長く続いた方が効率がいい。集中力を鍛えるとよく言うけれど、なんだかとっかかりが掴めないし。じゃあ遊びのように、楽しんで作業を出来るようになればいいのかなと今、模索中です。どんな方法があるだろう?

今日はまた、友人たちと夜にボルダリング。あの課題を落とせるかとか、あそこの壁の動きを頭で想像したりとか、きっとそんな風になんでも楽しんで取り組めれば、人生をもっと楽しめるのにとペンタブを置く傍ら、夢想中

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シンプルな1日

天気が崩れると、途端に元気がなくなる。植物も同じ気持ちかは分かりませんが、とかくそういう心の動きが備わっているのは、太陽をお天道さんと敬い親しんできた文化の中に生まれ育ってきたからなのかもしれない

今日は素晴らしい空を見られて、なんだかそれだけで、この日曜が価値のある日と感じられました

さて30代に入って、オヤジ化が進んだのか、どんどん温泉が好きになってくる。といっても、茨城は温泉貧乏県と言われるほどその数が少なく、実際少し足を延ばせばいいところもあるんですが、近場になると専らスーパー銭湯の類しかありません

いいんです。スーパー銭湯だって、広い湯船に変わりはない。今日も隣りの市まで車上の人となり、お湯につかっていい気分。露店風呂には強い風で枯れた桜の花(茎っぽいやつ)が吹き入れられ、なんだ、もう少し早く来れば花びらを敷き詰めた桜風呂が楽しめたんだなあと、駆け足で過ぎていく春を思いました

湯面のゆらめきの奥。遠近感の歪んだ風呂の底を眺めては、ふっしぎーと思っていたら10分くらい経っていた。我ながら何をやっているんだろうとため息を一つ

明日もよしなに